西川祐子様
初めまして。私、玉塚さんに教えて戴き舞台を拝見させて戴いております絵描きでございます。この度は全く畑違いの私がお手紙申し上げ、見当外れを申し上げるかも知れません事をお許し下さい。
祐子様の舞いを初めて拝見致しました時、伝わってくる凛とした品格と共に、前進を続けようとする人間の熱の様なものが全身を覆っている様に見えました。
表現を生業とする者だけではなく、真剣に生きる人は皆自然の秘密の入口を言い表そうと様々に苦心を重ねているのだと思います。またその苦心の中に喜びも確実に存在致します。芸術だけではなく、労働、技術革新、恋愛、政治、習慣に於いてでさえ、人間は自己表現の塊でありましょう。
その表現に輝きと深みを与える人格は正に先程申し上げた熱が育む所も大だと思います。満足してしまった人は熱を失った人。そこで止まり、魅力を失うのでしょう。進み行く人にのみ、人に良きものを与える力があるのだと思います。今出来得る限りの事をしながらも、自分に決して満足しない心、世俗の欲とは違い、決して嫌らしくならず、むしろ清々しいその心が舞台から放出されていた様に強く感じました。
祐子様が求めてゆかれる美の世界が、日本舞踊としてどの様な形を生み出されて行くのか、素人の私には想像も出来ませんが、我々共同体社会の益々大きな光として、一隅のみならず様々な方面を照らしてゆかれる事を願ってやみません。
令和五年一月吉日
星野友利(日本画家)
星野友利 様
昨年の祐子の会をご覧いただきまして誠に有難うございます。ご来場いただいた上、お便りまで頂け重ねて感謝申し上げます。
毎回これで良いのか、これしかできないのかと自問自答しながら当日を迎えております。表現をより良いと思われる形にしてゆく作業は、海図を持たない航海士の舵取りのようなものです。周りの方々からのご意見、特に分野の異なる方の感想やご指摘は、自分の居場所を知るための太陽や星座の役割を担ってくれます。到達地が魅力あふれる新大陸なのか不毛の地なのか、本来目指そうとした場所なのか、無形の営みゆえ絶えざる発信と受信を通じての舵取りが欠かせません。頂戴したお便りから、この度の航海は次に繋がる良き地に辿り着けたのかなと安堵しております。
閑話休題。初めて星野様の作品集を、玉塚様より拝借し拝見致しました。そこに描かれているのは、何処かは分からないが何処かで見たことのある、人や風景・植物といった様々なテーマ。ど作品も私の郷愁を誘う不思議な温かさ、懐かしさ…
芸術・芸能に関わる世界では、表現者自身による表現する面白さの追求が、観る者の内に同じ趣の何がしかの象を結ばせた時、初めて作品としての価値を獲得するものと考えております。私が星野様の作品から受けた懐かしさはどこから来たものなのか、私だけが感じたものなのか、お目にかかる機会が持てた時にはお尋ねしたいと思います。
寒さ厳しい折、ご自愛の上お過ごしくださいませ。
西川祐子