黒川由紀子先生
2021年12月の特別講座「言葉と踊り~老いの豊かさ」では、朗読と舞踊の立合の様な即興の作品作りをさせて頂きましたが、言葉を大切にする日本の伝統的な表現(能の謡や邦楽の浄瑠璃)の原点に触れることで新たな気付きがありました。先生はじめ、スタッフの皆様に感謝申し上げます。有り難うございました。
先立つ2020年秋の神田明神主催講座「今にいきる過去~人生100年時代の老いる楽しみ」に参加し、今回の朗読テキストである、107歳のピアニスト照子さんのストーリーという副題のついた「ミモザ」に出会いました。参加の動機は当時の私の心境が少なからず関係していたように思います。私事ですが、母が3年前に他界し、独りで稽古場を守る決意をした父を支える日々の中で、稽古場に数ヶ所ある神棚、仏壇、先代の写真を毎日巡り祈る事だけを自分の仕事として残し、淡々と暮らす父の気持ちを理解したいと考えていました。父の幸せの為に私は何ができるのか…。
ご著書「ミモザ」のあとがきに照子さんを評して
頭がしっかりしている
心がしっかりしている
魂がしっかりしている
とありました。できなくなる事が増えても嘆く事なく、今の自分を受け入れ、生きることへの畏れを持ち続ける魂の強さ。
読後 照子さんの人生に父の生き方が重なり、コロナ禍でやることが無くなりアタフタした自分より、父の方がずっと強い。支えていたつもりが見守られていたのだと思いました。
魂の強さ 求めたいものです。
照子さんはピアニスト、父は舞踊家ですが、二人の強さは共通項である芸術を極める中で培ったものと考えるのは浅はかでしょうか?
外での仕事を終え稽古場への帰り道、いつも覗くフラワーショップに春の光の様なミモザを見つけ、先生にお便りをしたくなりました。
西川祐子
西川祐子先生
過日の特別講座では、『ミモザ:107歳のピアニスト照子さんのストーリー』をテーマに、祐子先生の創作舞踊を拝見する機会を賜り、得難い体験をさせて頂きました。元赤阪の小さなポップアップ劇場に、照子さんのからだとこころと魂がふわりと降り立つようでワクワクいたしました。ありがとう存じました。
照子さんは先月2月に109歳の誕生日をお迎えになりました。
照子さんは子どもの頃、からだが弱かったとおっしゃっています。
「こんなに長生きするとは思ってもみなかった」とも。
長く生きるということはどういうことなのでしょうか。
「その年になってみないとわからないことがある」と言われますが、
109歳になってみたことがある方はそう多くはいらっしゃいません。
100歳を超えなくても、ご高齢の方はおひとりおひとりが
固有の人生を、今、歩まれておられる。
そのことに畏敬の念を覚えます。
お父様を支えておられる祐子先生が「支えていたつもりが見守られていたのだ」と述べられるお言葉が心に響きました。照子さんとお父様の強さが「芸術を極める中で培われたもの」かとのご指摘は、ピアノ、日本舞踊と、分野が異なっても、確かに共通すると考えます。芸術を極める道の過程で、気の遠くなるようなご精進をされ、数多の困難を乗越えた力が醸成され、喜びも不安も体験しながら、祈りながら、今、生きておられる。
どのような祈りを捧げておられるのでしょうか。
どのような思いで、祐子先生を見守っておられるのでしょうか。
そっとうかがってみたい気がいたします。
いえ、そのような愚問は控え、想像にとどめたい気もいたします。
いつの間にかミモザの季節となりました。
日本のミモザ、世界のミモザ。
私は私なりに、ミモザの祈りを、今、ささげたいと思います。
黒川由紀子