お便り

書簡(ストット怜様)

西川祐子先生

昨年の遊の会にて、先生の舞踊を初めて拝見する機会に恵まれました。先生が部屋の戸を開けて中に入ってこられるとき、お姿がまだ完全には見えていないにもかかわらず、部屋の空気が張り詰めるように変わったことを今でも鮮明に覚えております。先生の強い存在感に触れた心地がいたしました。

また、前回の祐子の会では、私の日本舞踊を観る眼がまだ十分に養われておらず、細部を緻密に把握するには至りませんでしたが、創作の「影媛」では、そこに込められた先生の祈りのような心、静謐な情熱といったものを、全体の印象として強く感じました。いずれの機会も、貴重な場に立ち会わせていただき、とても光栄に思っております。

私は5年前に起業して以来、他の企業の支援に携わりながら、「世に価値ある事業を創り続けるための汎用的な方法論」を探究するという試みを続けてまいりました。新たな価値を社会に展開していくには、個々人のリーダーシップのあり方が決定的に重要であると、日々、さまざまな創造的な営みに関わる中で実感しております。

そのような中、先生の日ごろの企画会議に同席させていただくたび、先生の凛とした佇まい、そして運営メンバーの皆さまを支えるご姿勢から、しんがりを務めるリーダーシップのようなものを感じ深い敬意を抱いております。

大変ありきたりな問いかけではございますが、先生は「これからのリーダーに必要な資質や修練」とは、どのようなものとお考えでしょうか。芸道の道を長年歩まれ、鋭敏な身体感覚を磨いてこられた先生だからこそお持ちの見地があるのではないかと、思いを巡らせております。お考えをお聞かせいただけましたら、大変ありがたく存じます。

個人的には最近、「筋の通った感性」のようなものが、今も昔も変わらず大切なのではないかと、歴史や古典に触れる中で思い至っているところです。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ストット怜(起業家)

コメント

    • 西川祐子
    • 2025.08.15 12:10pm

    ストット怜 様

    前回の「遊の会」および「祐子の会」にて私の舞踊をご覧くださった際の印象を、とてもうれしく拝読いたしました。演者としては、見て下さる方々の心の中に何らかの感動の瞬間を生み出すことに全神経を集中させているわけでして、それが果たされることは何よりの喜びであり、励みでもあります。加えて私の企画会議に、社会の動作原理とでも言いましょうか、これまでにない観点をもたらしてくれたことに大変感謝しております。

    さて、ご質問はリーダーに必要な資質や修練とありますが、トップダウン型のリーダーというあり方は、良いか悪いかはさておき、ずぬけた能力と実績が無ければ難しかろうと思います。怜様が既に見抜かれているように、私は見解や方針が出尽くした後の‘しんがり’を務めているに過ぎないのでしょう。これは舞台に立つ者の宿命、と言ったら大げさでしょうか。舞台という表現の場を作り支える各分野のスタッフと共演する演奏家・舞踊家等々の働きの上に、私は主たる表現者として務めを果たしていることになります。もしそこに怜様のおっしゃるリーダーシップの片鱗でもあるとしたら、舞台をその時その場における最高の情景に仕上げたいという意欲かもしれません。自分だけ完成度を上げても意味がないのです。周りを支えてくれるスタッフ・共演者の協力を如何に仰ぐかと考えた時、知らずと目指す方向への道筋を整えようとしているのでしょう。

    何かを成し遂げようという意志があり周囲をその気にさせる情熱があれば、リーダーとしての資質の最低限は満たしているのではないでしょうか。私は古典や創作を通じて、時を超えてなお変わらない人の情や価値観・美意識などを表現し、後世に残したいという意欲を持ち続けています。それがリーダーシップに関わるものかどうかは別にして、‘筋の通った感性’と感じていただいていることは、表現者としてこれに越した幸せはありません。

    またリーダーとして積むべき修練については、改めて‘私にとっては’と置き換えて考えてみました。この道一筋で来ますとやはりその狭い世界での価値観に縛られます。リーダーは先ずもって羅針盤たるべきもの。周囲や遠方を見渡し見通せる眼力を養わなければなりません。怜様が実例を挙げて示してくれた実業の世界は、私にはまさに新天地です。またそれを垣間見ることは、広い世界の多様な価値観を見極めるための格好の修練の一つとなっています。怜様には、今後とも芸道と実社会の結節点として、古典を伝え創作が花開く土壌の醸成にご加勢くださるようお願い申し上げます。

    西川祐子

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