寿柳貴彦 先生
温暖化の影響でしょうか今年は春先の気温が落ち着かず、これが反って幸いし開花後の桜を長く楽しめました。季節の移ろいが今までとは異なって来ているなとの思いを一層強くしている今日この頃です。日本文化の背景であった四季が喪失して、これからの若い人たちが古典に親しみ理解する妨げになりはせぬかと、先走った心配もしております。自然の変化に倣うはずもないのに、これまでの社会の在り方や人の価値観も揺らぎ始めているようにも観えます。近年、権力者の専横と追従者の忖度が生んだ不祥事により、盤石であると思われていた組織が消滅や変革を迫られているのは象徴的な現象と感じています。
日本舞踊の世界にも、差し当たって主だった劇場の建て替え期という波が寄せて来ました。殊に私どもにとって大切な国立劇場は取り壊しすら出来ずにいて、一演者としては何もできないからこそ気を揉んでおります。再建なった暁にはより多くの観客で埋まるよう、結果として愛好者が増えるよう、魅力ある踊りに仕上げるため自身で研鑽を積むのが一舞踊家の使命と認識してはおりますが、披露目の舞台の減少は歯痒いばかりです。
さて国立劇場で思い出すのは、先生のリサイタルの際には小劇場の角を回ってなお続く開場待ちのお客様の長い列です。そして更に興味深かったのは、いわゆる業界関係者が少なく一般の方々や若い人たちが大勢来場していたことです。またパンフレット類も目を引くデザインでかつ分かり易くなっていました。
社会が大きく変容しつつあり人の価値観も多様化する中、日本舞踊はじめ古典芸能への関心を維持し深める手法を模索しています。次代を担う園児から大学生までに踊りの手ほどきをしています。これは地道な一歩と思っています。しかしながらその一般解は既にあって実践されているのではないかと気づきました。自分で模索を続けることがその解の一つなのかもしれませんが、目の前に良い見本があると思いお尋ねいたします。日本舞踊に馴染みのなかった人たちにその魅力を伝え関心を呼び起こすのに留意すべき点や腐心していることがあればお教えください。一方、表現者としてのご自身はどのような舞踊を目指しておられるのか、心構えの一端でも披歴していただければ糧として精進したく存じます。
令和7年 卯月
西川祐子
西川祐子 先生
お便り誠にありがとうございます。
祐子先生の御懸念のように、四季の移ろいや日本人が培ってきた文化、風習、価値観などがどんどん薄れていっているように私も感じております。
四季折々の行事、日々の礼儀や作法、他を思いやる心、己を律する精神など、日本人であれば普通に感じていた「足るを知る生き方」が当たり前ではなくなってきたとも言えますし、その奥にある「自然への畏敬の念」を忘れ、感謝の気持ちが足りないのではと、私自身も反省することが多々あります。
今後、日本舞踊をどのように沢山の方に知って頂くかは本当に悩ましく、難しいことだと感じています。
私自身が出来ることは、日々稽古、鍛練など地道な自己研鑽をし、人として成長すること。そして日本舞踊を知って頂く前段階として、まずは私自身に興味を持って頂けるように多くの人とお会いしてお話をし、日本舞踊、日本文化のことを知って頂き、その結果、舞台に観に来て下されれば幸いと考えております。
メディアやSNSなど宣伝媒体、方法は多々あると思いますが、過剰な情報に惑わされることなく、身近な方々にお稽古や舞台
を通じて日本舞踊を知って頂くこと、そして古典舞踊を守り続けることが何よりも大事なことと考えております。
家族、友人をはじめ、スタッフや応援して下さる方々、門弟一同、そして祖先の方々がいつもその様な私の考えを慮り、至らないところを補い、尽力して下さることで、おかげさまでこうして流儀を運営でき、またリサイタルや舞台にも多くのお客様にお越し頂けるものと理解し、感謝しております。
私自身はそのご恩に報いるため、また失望されないよう、日本舞踊道に邁進することが、自分に出来る「誠の道」の実践であると思っております。
寿柳 貴彦(日本舞踊家)