お便り

書簡(日置貴之様)

西川祐子 先生

 昨年は高層ビル群のなかに取り残されたように佇む大橋茶寮での「遊の会」にて地唄「万歳」、国立能楽堂での「祐子の会」にて長唄「連獅子」、チェロと浄瑠璃の競演による「影媛」にうかがいました。曲目の違いもさることながら、三十名程度の観客だけが見つめるお座敷と数百名の客席を持つ能楽堂との違いを感じつつ、舞台を拝見しておりました。
 国立劇場の建て替えが不透明な状況となり、日本橋劇場も改修を迎えるなど、この数年は日本舞踊にとっては受難の日々であるように見えます。国立劇場は大劇場・小劇場がそれぞれ約千六百席と六百席弱、日本橋劇場は四百席超でした。

 日本舞踊にとって、もっとも理想的な上演空間とはどのようなものかという問いには、ただ一つの答えがあるものではないでしょう。日本舞踊の古典作品の多くが生まれた江戸時代の芝居小屋、たとえば中村座の舞台間口は十一メートル弱と、日本橋劇場とほぼ同程度の広さです。もちろん、素人によるお浚いや芸妓による踊りなどは、今日と同様、これよりもずっと狭い空間で踊られていました。そうした環境で生まれた日本舞踊は、近現代には歌舞伎座や国立大劇場のような舞台間口二十メートルを超え、千数百超の座席を備える空間を埋める芸術へと変化していったわけですし、どんな芸能にも、多くの人々を惹きつけるスターや、大々的な催しは必要でしょう。

 しかし、いま、そしてこれから日本舞踊が生き残っていくためには、〈舞台芸術〉としての上演環境の整った劇場での公演だけではなく、観る者との関係が密接な、小さな空間での公演が大事なのではないかと、「遊の会」に参加しつつ考えました。至近距離で、一つ一つの所作や目の使い方、衣裳の柄などが如実に見える環境での鑑賞経験を多く提供することによってこそ、日本舞踊は〈舞台芸術〉として他のさまざまな舞踊や演劇に伍することができるのではないでしょうか。

 それでは、そうした空間をこの現代にあってどこに求めるか、そのような規模の催しをどのように持続的に成立させていくか、といった問題は、舞踊家だけではなく、その周辺にいる者や観客にとっての課題でもあるのだと思います。

日置 貴之(演劇研究)

コメント

    • 西川祐子
    • 2025.02.26 4:05pm

    日置貴之 様

    お便り有難うございます。また、度々公演においでいただき重ねて御礼申し上げます。

    ご指摘にもありますように、そこに足を運べば踊りの空間だ、と知らしめてくれていた代表的な劇場が使えないという制約が課せられました。殊に春と秋の公演集中期には、公演場所の確保に四苦八苦しているのが現状です。スポーツやビジネスの場でまま出てくる、「ピンチをチャンスに変え」といきたいところですが、どのようにして?と暗中模索しております。この煩悶の過程が、自分の踊りの中で凝り固まった部分をほぐしてくれることを願いながら。

    思い返してみますと、これまでにも慣れた空間から飛び出す試みに挑戦したことはありました。30年も前ですがサンフランシスコでの無題のストリートパフォーマンスでは、不思議なものを見るような眼差しに取り囲まれ、それでも拍手を受けて終わった時、着物と足袋と扇の最小限の装置が働いてくれたと実感しました。庭園美術館のお庭をお借りした時には、生憎の天候が功を奏し稲光が格好の照明となる極めて稀な、私はもちろんお客様にとっても一期一会ともいえる体験をしました。ウイーンの市庁舎のホールで、チェロ奏者の吉井健太郎氏の演奏にて踊った事は私にとっては大きな挑戦でした。天井がとても高く西洋楽器向けの音響に優れているのでしょうが、和装で独り踊るには器が大きすぎます。時として振りを大きく空間を振動させるつもりで、かつ日本舞踊の静の美しさも見せたいと欲張りました。この時の大理石の硬質の反響が、我々の劇場や舞台が木質の世界の内に成り立っていたと改めて教えてくれました。最近ではお寺をお借りして道成寺をテーマに、時空を超越した存在の表象である仏様の前にて、時間と空間の変化を繰り広げる試みに挑みました。劇場であったなら書割りなどの大道具が活躍する場面であって、劇場でこそ味わえる“定番かつ非日常”の雰囲気が醸し出されたでしょう。しかし本物となると演ずる方は空間の重さに負けまいと意識しますし、観る方も感覚の切り替えが必要だったのではないでしょうか。これも貴重な体験になりました。

    縷々記憶に浮かんだことを書き散らしましたが、それぞれ異形の趣向ではあったものの、これら同様のことは先人も多々試みて来た歴史があります。次第に間口が広がり大劇場にまで発展したのも、振付師や踊り手の側からすると、座敷など小空間が常識であった頃に舞踊を一大ページェント化しようという企てが観客を引き込んだとみるのは穿ち過ぎでしょうか。ともあれ、状況に応じて飽きさせない場を提供してゆく努力は常に必要です。表現者が如実に見える環境で勝負すべきとの日置様のお言葉は、私にとっては“勝負できる”との見立てにも聞こえ、心強い限りです。小さな舞台を育て、関心を寄せて頂けるお客様を増やし、継続的に楽しんでいただけるよう、今後も情熱を燃やし続ける決意を強くした次第です。

    令和7年 如月
    西川祐子

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