お便り

書簡(富山清仁様)

謹啓

 仲秋の候、先生におかれましては益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。

 過日の「遊の会」では大変お世話になり誠にありがとうございました。お座敷芸として歴史を重ねてきた地歌ではありますが、近年劇場で演奏される機会が圧倒的多数であり、私自身お客様の前で演奏させていただく機会はほとんどございませんでした。劇場と比べ、先生ともお客様とも距離が段違いに近い環境で地方を勤めさせていただいた経験は得難いもので、貴重な機会をお与えいただきました事、心より厚く御礼申し上げます。

 伝統芸能は「敷居が高い」「堅苦しい」「難しそう」などポジティブとは言い難いイメージがあるのは否定しがたい事実であろうかと存じますが、舞踊、朗読、茶道、邦楽という多面からアプローチする本公演は、少しでも裾野を広げて伝統芸能に触れる機会を持っていただけるという点でも素晴らしい事と存じます。「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を聞いたことがございますが、なるべく多くの方に伝統芸能に触れていただく機会を作っていくのが私ども実演家の務めであると存じますので、第一回の公演に携わらせていただけた事は誠に光栄な事でございました。

 先生の今後益々のご健勝を心より祈念申し上げ、略儀ながら書中をもって御礼申し上げます。時節柄くれぐれもご自愛下さいませ。

謹言

  令和6年10月8日

富山清仁

西川祐子先生

   御侍史

  追伸:篠井英介様、鎌田るりこ様、プロデューサーの玉塚充様はじめスタッフの皆さまにも多々お気遣い賜りました。もし皆さまにお会いになられる機会がおありでしたら、富山がお礼を申していた旨お伝えいただければ幸いでございます。

コメント

    • 西川祐子
    • 2024.12.02 2:51pm

    富山清仁 様
    「遊の会」直後にお便りを頂戴しておりましたが、公演が重なりお返事が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。
    改めて遊の会を振り返ってみますと、お座敷でお客様のすぐ前にて披露される本来の地歌の姿に近い場が再現できていたのではないでしょうか。そして新機軸としては、それが都心にポツンと佇む茶寮であったということでしょう。芝区神谷町の時代に遡れば、丘の上の町屋の中に佇むゆかしいお屋敷であったものが、すっかり高層ビルに囲まれて、公演当日も景色がかわってしまっていてやっとたどり着いたという声をちらほら聴きました。なんだか昨今の伝統芸能の立ち位置を象徴しているようにも感じます。
    今回が初めての試みでしたが、多様な日本文化のいくつかを同時に体験できる場にプロとしても意義を感じてくださって有難うございます。より大勢の方々に身近に感じて頂くには、SNSなどを駆使してのメディアを通じたアプローチも勿論有効な手法と思います。ただ手段は多いほうが良いので、今回は時間を掛けて磨き抜かれた“本物”の芸と場を、たとえ少数でも興味を持って下さる方々に、敷居をなるべく低くして提供することにしました。そして各種メディアによって少しでも拡散していってくれたらと思います。
    このような会について一日本舞踊家の観点から言えば、その出自が中村座をはじめ江戸三座(1700年代)の歌舞伎舞踊であることから、元来舞台芸能の形であって、地歌舞ほどにはお座敷には向かないのかもしれません。しかしながら、観客の反応が直に伝わってくる同一平面上での視座の近さは、また舞台とは違った神経の働きを求められているような感覚を覚えます。富山様には当たり前のことと存じますが、私にとっては表現の在り方を文字通り、足元・爪先から見直す良い研鑽の場になりそうです。
    同じ形を保つことのみが伝統ではなく、更なる高みを目指して積み重ねられた個々人の工夫・創造の集積が伝統を形作るのだと思います。富山様はじめこれからの邦楽会を担う方々のお力添えも得て、臆せずめげず続けていきたく存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

    令和6年11月27日
    西川祐子

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