お便り

書簡(三浦裕子様)

三浦裕子先生
 日本伝統芸能教育普及協会(むすびの会)の森田ゆいさんに、先生をご紹介いただいてから何年経ったでしょうか。以降、リサイタルへの解説者としての出演、舞台の講評など、有難いお力添えを賜っており、感謝申し上げます。
 さて振り返ってみますと、若い頃から強く惹かれていた演目に、娘道成寺/ 時雨西行/ 連獅子/ 賎機帯/ 山姥などの作品群があります。これらは能楽由来、あるいはその土台に立つ作品です。自分の気持ちを探るべくつとめて能楽鑑賞に出かけたり、父の設立した財団の仕舞・狂言小舞を学ぶ講座を受講し実際に体験したり時を重ねました。狂言小舞は今でも習い続けております。稽古の最中は、私にとって学ぶ喜びに溢れた時間になっております。なぜ能楽由来の作品に惹かれるのか、はっきりとした答えは見つかっていないのですが、多分美しい日本語が節に乗って発声されることによる、耳からの心地よさが好きなのではないかと、最近考えるようになりました。
 現在、古典の意義が全世代で共有されることが私自身の実感としてなくなり、そのことに危機感をもって、試行ともいえる作品に傾注したこともありました。プログラムにはテーマとなる言葉を2つ3つだけ載せ、メロディーやリズムを主体とした舞踊。見る側の感性で好きにご覧いただける様に。
 が、ここに来て美しい言葉の節、それを発生する人の声、歌詞・歌唱が気になるのです。謡から浄瑠璃、唄となり、また楽器の演奏にも“ハッ”・“ヨッ”など声が含まれる事が多くある日本の芸能と言葉の関係について、素人の私にもわかるように教えていただけないでしょうか?


西川祐子

コメント

    • 三浦裕子
    • 2024.06.02 12:14pm

     お便り、ありがとうございました。先生に「素人の私にもわかるように」と謙虚なお気持ちを言われると、こちらこそ素人なので緊張してしまいます。しかし、至らないながら能の言葉の美しさについて私なりに考え、以下のように纏めてみました。
     能の言葉の美しさのポイントは三つあると思います。第一は文学作品としての詞章の美しさです。掛詞や枕詞など和歌の技法を駆使して、言葉を磨き上げていると思います。それは長唄の詞章など近世邦楽にも共通するところでしょうが、能らしさに何があるかというと、中世の人びとの思想・信仰・習慣が根底に流れているところではないでしょうか。今、能に登場する放下(ほうか)について少し調べています。放下は遊芸を行う大道芸人で、江戸時代になると、歌舞伎や人形浄瑠璃とも連携したと聞いています。
     その放下の活躍する能〈放下僧〉や〈自然居士(じねんこじ)〉では羯鼓を打ち、こきりこを擦るなど、さまざまな芸を披露します。この芸尽くしの場面が見どころなのですが、〈放下僧〉では加えて小歌が謡い舞われます。「面白の花の都や。筆に書くとも及ばじ」と始まり、東山の名所のひとつとして「地主の桜」が出てきます。現在、清水寺の地主神社にも桜がありますが、この地主の桜は本当に小さな若木です。しかし、中世の地主の桜は見応えのあるものだったようで、当時の人びとは開花を心待ちにしていたそうです。小歌では「地主の桜は散り散り」とあり、春風に桜が散るのを興味深く思ったのでしょう。
     第二の美しさは、非常に複雑な音楽に仕立てられているということです。たとえば小歌の真ん中に「川柳は水に揉まるる」「ふくら雀は竹に揉まるる」「野辺の薄は風に揉まるる」「都の牛は車に揉まるる」と物尽くしが出てきます(詞章は喜多流による)。これをリズム中心に表記すると「水に揉まるるふくら雀は」「竹に揉まるる野辺の薄は」「風に揉まるる都の牛は」と、「ふくら雀」などの揉まれるものと「竹」など揉むものが、一句のなかで一致していないのです。随分凝ったリズムになっていると思います。
     第三の美しさは、能楽師が鍛えた声と身体で表現するということです。これは近世の邦楽・舞踊にももちろん当てはまります。そこに能らしさを探すとすれば、「演劇としての能」を意識して声と身体を鍛えていることでしょうか。能の上演時間は平均すると90分ぐらいかと思いますので、能楽師は、それを演じるための厳しい修練を重ねておられます。とくに能面を用いる場合、過酷とも言うべき負担がかかりますので、それも忘れてはならないことでしょう。
     「能の言葉の美しさ」というお尋ねでしたが、「能の美しさ」を語ってしまったように思います。中途半端なお答えしかしていないことに忸怩たる思いがありますが、私からお先生に尋ねしたいことがございます。能の所作は抽象的なものが多いのですが、最近、たえば、「回る」という詞章で舞台を回るなど当て振りも結構あることに気づきました。しかし、それが歩行を伴うものであったりするので、拝見していて当て振りであることに気づきにくかったりします。
     舞踊ではよく当て振りがあるように思いますが、たとえば、どういう場面に出てくるかなど、その特徴のようなものがございましたら、お教えいただけないでしょうか。
     どうぞよろしくお願いします。

    三浦 裕子
    武蔵野大学文学部教授/能楽資料センター長

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