西川祐子 様
早いもので令和4年も半年が過ぎました。この季節になりますと、吾々の師・花柳茂香先生が主宰した「えんの会」(毎年6月に国立小劇場で開催された独自路線の日本舞踊の会)が想い出されます。
師匠が他界した後、己自身がどこまで茂香師の言葉やテイストそして世界観を、自分なりに実践できているか心許ないのですが、こうして、祐子様との交流によって、茂香先生をチャネリングしているような心強さに至ります。
先日、えんの会でご一緒した友人のお宅で、六代目尾上菊五郎から直伝された十七代目中村勘三郎の「鏡獅子」の舞踊映像を拝見する機会がありました。
江戸城大奥を舞台に、清潔感溢れる小姓弥生と勇壮な獅子の精を踊り分ける大役ですが、そのアーカイブの中で演劇評論家の渡辺保先生は「女形から立役になった十七代目勘三郎が、“鏡獅子”という作品を立役の踊りに引き戻した」と仰っていて、即ち、立役であった六代目菊五郎、直伝の「鏡獅子」を継承することは、初演の九代目市川團十郎の芸にもつながると解説されました。
私はその映像に見入りながら、十七代目勘三郎が息子にあたる勘九郎(十八代目勘三郎)に「鏡獅子」の稽古をつけるNHKのドキュメンタリーを、幼年時代に見た記憶がよみがえりました。親子でありながら時にライバルのような二人が共に汗をかく稽古場の緊張感。十七代目勘三郎が「そんな目をしちゃいけない」というダメ出しを、当時の勘九郎に向って繰り返し言われたことが、今も印象に残っています。
真に素晴らしい芸は、深いところから汲み上げられた泉の水を飲むようなインパクトを与えるだけでなく、忘れがたい記憶さえ呼び覚ますものです。
素晴らしい芸術といえば、現役で101歳を迎えた洋画家の野見山曉治さんが「100年生きて思うことは、人間が自然から離れてしまったこと。そして、最近は、人間が人間から離れてしまったこと」という意味のことを言われました。
伝統もモダンも、人と人とのふれ合いこそ、あらゆる芸術作品が生れる根本に存在していると信じる者としては、いかに未来に向って「個としての躍動」を、擁護して行くか…今日ひじょうに考えさせられます。
※写真は「えんの会」で、花柳茂香師・指導のもと、創作し舞わせて頂いた舞台『雪華(せっか)』より。
令和四年六月吉日
玉塚充(タマプロ)
玉塚 充 様、
お便りを有難うございました。仰るように、師の‘えんの会’に関わらせて頂いていた私にとって、6月は苦しくとも学ぶ喜びに満ちた時でした。
師をはじめ素晴らしい先輩方の活動を手本に舞踊を研鑽してまいりましたが、ふと気づくといつの間にか手本を示す側になりつつあるように感じています。
お便りにありますように、芸術・芸能の根底である人の在り方が、玉塚様や私の育った時代とは大分違うように思います。なるべく無駄を省き結果を早く出す事が推奨される社会に育った後進に、私たちはどのような手本を示せるのか・・・
好きか嫌いか、損か得か、白か黒か、と二元論でスッパリ割り切れない対立項の間の揺れる心情の掘り下げこそが作品になるのですから、失敗も含め多くの無駄や時間無くして、印象に残る古典の大きさに匹敵する作品は生まれてこないと考えます。作品を作り始めたころ、師は新しさや受けることだけを追っていったら最後は舞台で切腹するしかなくなる、と仰いました。確かに衝撃的で分かりやすい結末。
師の説得力のある言葉は、古典を常に学び直し、自分はこれで良いのだろうかという自らへの問いかけを基に作品を作り続けた姿勢から生まれたものと考えます。私たちは後進にどのような後姿を見せられるのか、今問われているのでしょうね?
令和4年6月
西川祐子