お便り

書簡(森下典子様)

森下典子 様

 コロナ禍で全ての仕事が止まった昨年5月、先行きが見えない不安に身体を動かすことで紛らわすべく、家中の断捨離、そして本棚の整理を致しました。活字中毒(?)で乱読・積読、結果ゴチャゴチャになっていた棚の奥に、森下様の御著書「日日是好日」を見つけ再読したい思いにかられ、そのまま数時間散らかった本の間で、一気に読みました。

良い本は何度読んでも、その都度新たな感動や発見があります。

「日日是好日」は茶道を通して主人公(ご自身)の人生を描いていますが、茶道に限らず日本の習い事、文化全般に通じる心が感じられます。学校の授業でも、カルチャースクールでもない学び方 習い事…。茶道の師匠の稽古場で、主人公の女性が感じた事は、私が日本舞踊の稽古で感じた思いと変わらなく、長い時間をかけて真髄を探る作業の懐かしく…、温かくもまた、厳しい道程が想起されます。

世の中の流れが早い現在、教える立場になってみて、自分がやってきた様に、学ぶことに時間をかけることが難しい様に感じられます今日。

文筆家でいらっしゃると同時に、茶道を極める道に乗っておいでの導師である森下様は、文化と時代そして伝統を、どの様にお考えなのでしょうか?

西川祐子

コメント

    • 森下典子
    • 2022.01.14 8:14pm

    西川祐子さま
    お手紙、嬉しく拝読いたしました。本棚の中から出てきた拙著「日日是好日」を手に取り、そのまま一気に読んでくださったという、そのお姿を思い浮かべながら、この返信を書いています。
    二十歳でお茶の稽古に通い始めて、もう四十五年になりましたが、私には茶の道を極めたいというような思いは正直、少しもありません。それより、私にとってお茶は、人生と並行して存在する、もう一つの大切な心の置き場なのです。
    それは、私たちが生きる社会がまるで濁流のように激しく、膨大な情報を消費する世の中だからです。その凄まじい騒音にかき消されて、私たちには自分の心の中の、小さな声が聞こえないのです。そして、自分の本当の生き方を見失ってしまいます。
    人生は迷いや葛藤の連続です。だから私は悶々と悩みを引きずりながら、週に一度、お茶の先生のお稽古場に通ってきました。お稽古場の門をくぐると、庭の奥からチョロチョロと蹲の水音が聞こえてきます。その途端、時の流れはゆったりと変わり、私はもう一つの静かな場所へと入ります。
    私は四十五年たった今でも、お点前を間違えます。それに正直、お茶のことは、まだまだわからないことだらけです。でも最近、「わからないことは、わからないままにしておく」ということが、とても素敵なことに思えてきました。
    昔、掛け軸の拝見の仕方を教えていただいた時、先生は掛け軸の言葉の読み方だけ教えてくださって、「まあ、眺めておきなさい」と、微笑んでいるだけでした。二十歳の私にとって、そもそも掛け軸などというものは、言葉の読み方そのものが全てで、それ以上の意味があるなど思いもよりません。だから、先生の「まあ、眺めておきなさい」という言葉に込められた含みさえ、わかりませんでした。
    けれど、十年もたったある日、絶好のタイミングで、掛け軸の言葉の向こうに、突然、扉が開いて宇宙が見える瞬間がやってきたりするのです。そんな歓喜の瞬間も、悩みや葛藤を抱えて、稽古場の門をくぐり続けたからこそなのだと、「まあ、眺めておきなさい」と、何も言わないでくれた先生と歳月に感謝しています。
    「わからない」とは、なんて素敵なことでしょう。それは、松の木の根元に埋められたまま、いつか発見されるのを待っている「宝物」のように思えます。
    学びとは、技術や知識をマスターするだけのことではなく、人生という長い時間をかけて、自分の知らない世界を開拓し、そこに本当の生き方を発見していく歓びに満ちたものではないでしょうか……。私はお茶を通じて、この頃、そんなことを思うようになりました。
    厳しい寒さが続いております。
    どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。

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