西川祐子 様
三度目の緊急事態宣言を経て、改めて己のキャリアを見つめ直すとき、コロナ禍の経験がいつの日か機縁となって、魂を揺さぶるような作品を作るメンタリティに寄与することもあるのではないか…そのような想いを抱きながら、私なりに考えてきたことを、このお便りで共有いたします。
思えば、祐子様とは、故・花柳茂香先生の洗足のお稽古場でお目にかからせていただき、折々に楽しくお話するようになり、近年はベルギー大使館で開催されたイベントの舞台で創作舞踊をコラボレートするなど、日本舞踊を切り口にした貴重な機会に恵まれ、心よりご縁に感謝しています。祐子様の舞踊人生の原点は、花柳茂香先生の舞台「原野」との出会いにあると伺っています。私の場合、舞台の面白さに目覚めたのは、六世中村歌右衛門丈の数々の名舞台をライブで見たことです。
歌右衛門丈の一挙手一投足は、祈りの中から生まれてくるような、すべてが魅力的で、見終わった後には、神聖な気持ちにさせてくれる舞台でした。「歌舞伎という舞台芸術は、役者を見に行くもの」と仰る方がいますが、そのコンセプトをまさに、文字通り体現されていたのが、私にとっては歌右衛門丈なのです。
昔、六本木の交差点ほど近くに「ユーラシアン・デリカテッセン」という西洋惣菜店がありました。土地柄、武原はんさんもよくお見えになって、チキンの丸焼きや当時珍しかったビーツのサラダ、またチーズケーキやババロアが絶品の店で、私は幼少の頃から、年末などにお使いで通っていました。ある日、ユーラシアンで買物し、ユーラシアンの女主と立ち話になった時に、女主が「私は勘三郎(十七代目)がなくなってから、歌舞伎は見に行かないの…」と言われたのです。当時、私は大学生で、その言葉に対し、心の中でその時は「なぜ?」と思ったものでしたが、後年、歌右衛門丈が他界した時、この女主の言葉が想い出され、2021年の今日、舞台芸術をとりまく演者と観客の距離感、そして発信と受信のあり方について、その想いを深め、切に考えさせられています。
ユーラシアンの女主に、そのようなフレーズを言わしめた、十七代目中村勘三郎が発信した芸とは何だったのか?いま一度、先人たちの芸に想いを馳せ、その凄味をよく見聞し、世代をこえて紐解いてみる時期なのかもしれません。また、どんなに素晴らしい芸が披露されても、観客がいい受信機を持たなければ、残念ながら役に立たない。そういう意味では、ユーラシアンの女主もまた、優れた感覚を持つ人物で、立派だったと思います。そして、真の表現者はすべからく、発信と受信の両方を研ぎ澄まし、良心の声を聴きながら、無心に自分を磨き続けて、己の使命と向き合うのではないでしょうか。
コロナが収束した後の世界で、仕事人として私自身、何を発信していきたいか?
六世中村歌右衛門丈は第二次世界大戦をくぐりぬけた後、歌舞伎座で歌右衛門襲名を行った歴史があります。それは、歌右衛門丈の芸が平和と豊かさのシンボルであることを決定づけました。吾が心のスーパースター歌右衛門丈に想いを馳せ、私も規模の大小にかかわらず、平和と幸福を招来し、空間に結界をはるような作品を目指して、精進して参りたいと思います。吾々の師・花柳茂香先生が遺した言葉を胸に…。
『創造は、「無駄・冒険・挑戦」。 挑戦なくして創造はあり得ない』
玉塚充 タマプロ主宰 プロデューサー/ディレクター
玉塚さん、お便り有難うございます。
玉塚さんの企画・制作する作品やイベントは斬新な切り口でありながら、ホッとできる古風な趣があると感じていましたが、活動の出発点が中村歌右衛門の舞台であることと知り、合点が行きました。舞台は〝百聞は一見に如かず〟ですね。
花柳茂香先生の「原野」を拝見した時の衝撃は、四半世紀過ぎた今となっても忘れられません。歌詞のない笛四管の曲。身支度や舞台装置総てが簡素。徹底的な引き算による余白と余韻のある作品は、日本舞踊の原点である華やかな歌舞伎舞踊とは真逆であるのに、古典に匹敵する重厚感と、地域や世代によらないテーマの共通性が感じられました。昭和の作舞ですが平成・令和さらに未来に残る作品と確信しています。
先生の作品は、若いころ存分に踊られた古典を土台に、ご自身が舞踊家として生きた時代の空気を、良いも悪いも肌感覚で受け止め生まれたのだと推察します。先生は〝現状に満足していたら作る意味はない″と仰いました。理想の舞踊先品を目指し創作(配信)し、時代・社会と自分の接点を厳しく潔く見つめ続けた(受信)人生。
先生のように発信と受信の両方を研ぎ澄まし無心に磨き続け、先人から受け継いだ作品の魅力を未来へ繋げられたら、また「原野」のような普遍性のある作品を創れたらと思います。
西川祐子