お便り

書簡(山本東次郎様)

山本東次郎先生

 本年の山本会別会は、明るく華やかな演目が並び久し振りに生の舞台の楽しさを存分に味わうことができました。

 先生がシテの主をお務めになられた鷺はとりわけ印象深く、先生の語りの不思議な力と凜太郎さんの美しい鷺のお姿で、中世の虚構の世界が現実味を帯び、三間四方の舞台に神泉苑の豊かな緑と池に遊ぶ鷺の情景が浮かんで参りました。

 どんな古典作品でも現代に通用する生き生きとした作品に仕上げる先生の豊かな表現力に大変に魅了されています。

 歴史や文化への造詣の深さ、地道な稽古、そして先生の思想や生き方が、相まって成せる所と推察致します。そこで、後から進むものとして、先生がどのような事を心がけ舞台人として日々お過ごしなのか、又どのような理想に向かい舞台に立っておいでなのか、中世に作られた作品でも現代にツウジル魅力を見せてくださる技の礎について伺わせて頂けたら幸いです。

       西川祐子

コメント

    • 山本東次郎
    • 2021.05.26 1:44pm

    西川祐子様

    お忙しい中、山本会別会にお越し頂き、ありがとうございました。
    狂言「鷺」は横浜能楽堂主催の企画公演で、則重・則秀兄弟が役をご指名頂き、私は台本作成を依頼されて、古く鷺流にあったという曲を復曲したものです。「主人に無断で出掛けたことを叱られる太郎冠者、主人は都の話聞きたさに許し、太郎冠者は神泉苑で見た鷺の姿を舞にして披露する」という筋立て以外はすっかり作り替えてしまったので、ほぼ新作のようなものです。初演の際は若い者たちにあまり長い科白は気の毒と思い、短めに作ったため、やや消化不良気味でした。今回は自分の役なので神泉苑の由来についての科白を大幅に増やして存分に語ってしまいました。裏話を申し上げれば、主人役の私の語りの間に、太郎冠者役の凜太郎が鷺の扮装に着替えるので、その時間に余裕を持たせたかったこともあります。「ちょっと長すぎ」との感想を漏れ聞き、少々がっかりした気分だったのですが、祐子先生のお言葉に救われたような気持ちです。
    人はついつい、自分が使うのだから、言葉は自分の意のままになるものと思いがちです。けれども、特に科白の場合は、言葉は「使わせて頂いております」という、一歩下がった気持ちを持たねばならないと思います。言葉は常に私より上の位置にあり、崇高なものとして大切に、心を込めて語る。そうすれば、あとは言葉の持っている底力によって自ずからその真意が観客の皆様に伝わっていくと信じております。
    そのように常に己を律していないと、毎日毎日同じ科白を繰り返しているうちに、惰性になって言い古された言葉になってしまいます。だからといって、「さあ、今から最もフレッシュな言葉で科白をお聞かせします」などという浅はかな考えは論外です。うるさくなく、押しつけがましくなく、ただひたすら鍛え抜いた声で、正確に、そして言葉を尊みながら全身全霊で科白を発する。そうすれば必ず、数百年繰り返されてきた言葉も一言一言、今地球上で初めて発せられた言葉に聞こえてくる、私はそう信じております。
    ついでに申し上げれば、能楽界では昭和三十年代あたりまでは、どのような美声であっても、生まれ持ったままの鍛えられていない声は卑しく物欲しげな声として否定されておりました。「美声に名吟なし」といわれたものです。
    さて、鷺の舞ですが、世阿弥もしきりに「物真似」ということを言っております。今は物真似を専門にする芸人さんがたくさんおいでになりますが、ほとんど真似する対象の癖を真似しておられます。そんな芸を時折テレビで面白く拝見しておりますが、世阿弥の言う「物真似」はそれとは異なる、物事の本質を連想させる物真似なのではないかと考えています。ですから凜太郎にも鷺に似せようとするのではなく、鷺の動きや振る舞いを連想させる型付けを教え、それを忠実に繰り返させました。
    また、ご覧になる方が神泉苑のイメージ、美しい里山や林に囲まれ、静かに広がる聖なる池の風景を心の中に持ち合わせていらっしゃればこそ、見えてくるのでしょう。そういう意味では、大道具や舞台装置がない能舞台は逆に、自由なイメージを心の中で描きやすく、見えやすくできると思います。舞台から発する煎じ詰められた信号に反応するには受信機を持ち合わせていなければならない。そういう人にはイメージは無限の広がりを持つことが可能なのです。
    さまざまな芸能、舞台芸術がありますが、私は能・狂言にとって最も大切なものは「礼節」と「引き算」と考えます。それらは今の世の中が最も失ってしまったものでしょう。能楽はもともと神や仏に捧げる芸能でした。神仏の前で人は不遜になれません。謙虚に謙虚にひたすら勤める。それは人間の観客に対しても同じことです。ですから自己主張を絶対に許さないのです。
    狂言が描くのは人間の愚かしさ、狂言は人間の愚かしい心の動きを描く心理劇です。そしてそれは引き算の美意識のもとに作られているので、非常にシンプルです。だからこそ、どんな時代でもその背景や風潮、傾向に邪魔されずに受け入れられ、今に続いているのでしょう。ぎりぎりまで煎じ詰められた象徴的な演技、演出は観客の心の中で大きく広がり、展開されていきます。足し算で目一杯に作ったもの故に、観客の心の中で膨らんでいく余地がないのとは対照的です。狂言のシンプル性が昔と今をつないでいる、そしてそれは未来へもつながっていく可能性が十分にあります。枝葉末節な部分を捨て去り、芯だけ、つまり本質的なものだけだから、いつの時代でも人の心に受け入れられると信じています。
    また、先程申し上げたように、能・狂言は生まれ持った要素を一旦否定するところから始まります。生まれ持った美しい声、美しい姿、それらは結果的にはプラスになるかもしれません。けれども、恵まれた声、恵まれた姿、そういったものはこれから死ぬまでずっと続いていく、ひたすら忍耐を要する地味で面白みのない過酷な訓練の邪魔にこそなれ、良いことではないということです。芸の世界ではどこも同じでしょうが、芸だち良く生まれてきた「神童」が「ただの人」になってしまうケースは珍しくありません。
    世阿弥は「命には終わりあり、能には果てあるべからず」と言いました。またヒポクラテスの「芸術は長く、人生は短し」、そしてちょっとニュアンスは違うかもしれませんが、ガンジーの「明日死ぬと思って生きよ、永遠に生きると思って学べ」。私はこの三つの言葉を手本にして生きていきたいと念じています。
    若い頃、私は山登りが好きで、ひまを見つけては北アルプスに登っていました。山は登る時が楽しいのです。清々しい大自然の風景に浸りながら、一歩一歩歩みを進めていけば、苦しくとも、いつか必ず頂上に到達できる。もともとの性格なのか、父の教えや稽古の影響なのかわかりませんが、辛いことを自分に課していることでむしろ心が安定するのです。ですから、少し前までは「今日頑張れば、明日は少しは良くなっている」と思っておりました。ある時、医師の友人に「使わないと衰える。使い過ぎると壊れる」とさらりと言われ、その時は少々反発があったのですが、八十歳を過ぎると正にその通りだと実感し、今は毎日心の中でそう唱えながら、無理をし過ぎないように努力しています。
    残念ながら身体は徐々に衰えていきます。しかし、知力や感性、あるいは「間(ま)」などは今も鍛えられるのではないかと思うのです。狂言を懸命に演じていると、今でもたくさんの発見があります。
    たとえば「末広」は狂言の中で最も有名な曲で何百回も演じてきましたが、果報者(主人)が召使いの太郎冠者に「慈しみ」の心を持って接しなければならない、そう気がついたのは還暦の頃でした。それによって曲の祝言性がぐっと高まるのです。
    誤解のないように申し添えますが、狂言はリアリズム演劇ではありません。「様式」の演技、「型」の演技です。「慈しみ」を具体的に表すのではなく、例えば二人の言葉のやり取りのなかで、主人は太郎冠者に対して言葉の末尾を少しゆっくりめに、柔らかく、丁寧に渡します。ただそのことで「慈しみ」、すなわち太郎冠者を可愛がり、信頼していることが見えてくるのです。
    また、父から厳しく稽古された「間(ま)」、タイミング、今もそれをずっと意識して続けていますが、ある曲で教わったのとは異なる「間」を発見致しました。何と八十歳を過ぎた頃です。出家の役なのですが、迷いに迷った挙げ句、振り返る場面、出家の葛藤を科白とともに表す大事な場面なので、特にうるさく稽古された部分です。振り返ろうとした時、何かに邪魔されたようにタイミングがひと間、遅れてしまったのです。瞬間、「あっ、しまった」と思いながら、それと同時に、「待てよ、この間のほうがいいんじゃないか。むしろこれが正解かもしれない」、そう感じたのです。父が昔、口癖のように言っていた「芸が芸を教える」とはこのことかもしれない。「何かに操られるように」やってしまった、そしてこれが正解だと直感した。それはもしも、私が六十歳で亡くなっていたら経験できなかったことです。そう思うと、命があることに心から有り難く思います。これからもこうした発見はまだまだ起こりうるでしょうし、新たな希望が生まれ、先が楽しみになっていきます。
    狂言を通して教えられたこと、狂言に真正面から向き合って学び取ったことはたくさんあります。古典芸術は長い時を経て、大切に受け継がれてきたもの、それを預かった私たちは、次の世代に確実に渡していく責任があります。先程の「鷺」ですが、ほんとうのことを言えば、私は太郎冠者を演じてみたいのです。けれど、私の年齢、今の身体ではとても鷺の舞は舞えません。ですから凜太郎に託しました。能・狂言、そして日本舞踊も歌舞伎も文楽も皆同じと思いますが、古典の舞台芸術の良さは、たとえ自分ができなくなっても、自分が教え、後に続いてくれる人たちが受け継いでいってくれること、それは自分で演じるのとはまた別の大きな喜びです。
    世阿弥は狂言の理想を「幽玄の上類のをかし」という言葉で表しました。「礼節」「引き算」は能と共通ですが、その他、狂言にとって最も大切なことは「祝言性」、ご覧になったお客様がほのぼのと温かい気持ちになり、「何だかわかるなあ、人間っていいものだなあ」と感じ、少しでも元気になって頂けたらいいと思います。
    狂言では「天下治まり、目出度い御代なれば」という科白で始まる曲が多くあります。ほんの少し前までその言葉の重大さを理解しておりませんでした。新型コロナウイルス感染症によって世界中が大混乱の中にある今、さらりと語られるこの言葉がどれほど多くの示唆を含んでいるか、それは幾多の戦乱や疫病を乗り越えてきた古典だけが持つ力なのだと思います。
    私たちの舞台をご覧になって、お客様の気持ちがほんの少しでも晴れたらいい、明るい心持ちになってくださればいい、そんな狂言が勤めたい。それが今の私の理想です。
    こんなとりとめのないことでよろしいでしょうか。またお便り頂けましたら嬉しく存じます。

    山本東次郎

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