お便り

書簡(今井啓二様)

西川祐子様

影媛の舞台を拝見させていただきました。
鑑賞おぼえがきをお送りさせていただきます。
公演当日は舞台に吉井を送り出し後、客席から鑑賞することができました。

日本書紀に記されている影媛の悲恋の物語は全く知りませんでした。
ものがたりは単純で、権力を持つ皇太子が一目ぼれした影媛に横恋慕し、その恋人鮪大丈夫を殺害。しかし、影媛は皇太子を拒み、亡き恋人を想い生きていく。
この物語は世界に通用します。暴君による悲劇や悲恋の話は世界中にありますが、この影媛はとても日本的です。出典が日本書紀ということ自体が完全たる日本製、日本発です。
日本舞踊に嗜みはなく、全く素人からの感想です。

8世紀に書かれた物語に乗せてバッハの無伴奏チェロ組曲が流れる。その最初の1音で舞台に引き込まれる。最初の前奏曲で悲劇を乗り越え生きている影媛の姿を見るこができる。まさにこれから始まる物語のプレリュードである。
続くアルマンドでは影媛と鮪大丈夫の二人の恋仲が語られ皇太子からの求愛も始まる。そして、サラバンドの歌会になり、皇太子は歌詠みで負ける。皇太子の怒りに任せて「鮪を殺せ!」の叫びから始まるクーラント。終盤、メヌエットからジークへと、影媛は愛する亡き恋人を想い続け、凛として生きていく。その姿は何をも寄せ付けぬ力強さと気品に満ちている。

この物語が日本的と言うのは影媛の生き方のこと。不条理に恋人を殺されたにもかかわらず「天を怨まず、人を咎めず、凛と」生きる姿に惹かれるのは日本人のDNAだろうか。呪いや復讐などなく、諦めや失望でもない、凛として生きるという言葉でこの物語と今日の舞台は完結している。
踊りの西川祐子、チェロの吉井健太郎と、認められたいとか、名声が欲しいとか無縁に、まさに淡々と自らの芸術の世界に凛として身をささげているこの二人だからこその舞台でした。
バッハが活躍したのと日本舞踊西川流が起きたのが同じ時代の今から300年ほど前。その交わりを今こうして鑑賞できる奇跡を真の豊かさと言えるのだろう。

言葉にすればするほど、思いの真意が伝わらぬもどかしさを感じている。
ありがとうございました。

                                今井啓二

コメント

    • 西川祐子
    • 2021.03.03 4:37pm

    お便りを有り難うございました。2019年のリサイタルでは、影媛出演の吉井氏のスケジュール調整・広報等 メディアチャパの全面的なご支援を賜り バッハと日本舞踊という、日本舞踊家としては かなり挑戦的な舞台にもかかわらず 多くの方に観て頂くことができました。深く感謝申し上げます。
    観賞に予備知識を必要としない作品作り をリサイタルのテーマとしましたが、チャパさんのお便りから テーマを理解し、かつ作品を楽しんで頂けた様子が窺え一定の成果が出せた事に安堵致しました。これからも文化、地域、世代の垣根を超え、観て下さる方の人生の傍らに置いて頂けるような作品を作っていけたらと願っています。

    ところで、チャパさんはメディアチャパ代表として音楽企画に関わる一方  難病支援のNPOの代表もなさっていらっしゃいますね。コロナ禍で最重要な医療と、不要不急の文化芸術。対極に位置する仕事の垣根を どの様に飛び越えていらっしゃるのか…。チャパさんのお考えを教えて頂けませんか?私の次の作品作りのヒントが、見つかるのではないか と欲張ってのお願いです。

    西川祐子

    • 今井啓二
    • 2021.03.03 4:39pm

    にしこさん
    お返事ありがとうございます。

    垣根を超える、、
    「コロナ禍の医療現場」と「不要不急の芸術」という世界の間に垣根が見えるのですね。
    確かに、真逆な世界に見えます。
    正直、あまり深く考えたことがなく、言われて思案しました。

    答えになっているかわかりませんが、心がけていることがあります。
    単純に言うと、事実と価値という2つの側面でものごとを捉えることです。
    事実というのは客観的に存在していること。
    価値はその存在を存在たらしめること。

    たとえば、音楽。
    聞こえてくる音楽を事実の側面から見ると、
    作曲者は?演奏者は?音の高低、音量、種類、テンポ、長さ、と調べられる。
    譜面という形で目に見えるようにもできる。
    そして、時間の経過で音が消えた時、音楽は終わります。
    でも、これが音楽ですと言われると明らかに違う。
    演奏が終わり消えたのは音であって音楽は聴いた人の心に残っている。
    ここが重要です。
    誰の演奏とか、楽器はなに?とかの「記憶」ではなく心が感じた「感覚」が残っている。
    時が経っても色あせず、逆により鮮明になることは、誰にでも経験があることだと思います。
    それが価値の世界。
    事実は価値に支えられ、価値は事実を通してたどり着く。
    この2つの世界を切り離した時に、優劣を比べ、大小や高低に惑わされ袋小路に迷いこむ。
    そう考えて突き詰めていくと、目指している頂はどれも同じじゃないかと思える。
    垣根を越えなくても、すでに同じ世界にいるんだと。

    豊かさや貧しさを、幸と不幸と、どんな尺度で測るのでしょうか?
    昔見た古い映画で、貧しい生活をしている才能ある芸術家に、あなたはもっと豊かになれるのにと言うと、
    その芸術家は「貧しい芸術家はいません」と答えました。
    これは芸術家に限らず、誰にでも当てはまることだと信じています。

    チャパ(今井啓二)

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